道中二時間 駄々もこねて
~深夜の都大路を京都動物園へ~
1943年(昭和18年)4月29日 都新聞
京都市動物園へお待ちかねのゾウが大阪の天王寺動物園を経てやってきました。まず28日の午前零時に当時の原園長や技師など10人が天王寺動物園に出張、阪神パークから連れてきたゾウを貨車に積むべく板を渡して難なく積み込み、汽車で京都梅小路駅に着いたのが同午前2時。ここから下ろし、歩かそうとしたが、疲れたのか歩こうとしない。そこで、なんとかなだめて河原町通りを七条から三条へ、三条通を平安神宮へ歩き、二条通りから動物園に入りました。この時、明け方の4時。道中に2度も駄々をこねましたが、夜明けともなれば人通りもあり危険なので、なんとしても明け方までには入園しなければならず、係の人の苦心は並大抵ではなかったとのこと。お目見えしたゾウは、16歳の雌で、体重は約600貫(2,250kg)というところです。

このゾウは、飛行機の建設用地として強制撤去のため、閉園を余儀なくされた阪神パークからやってきたインドゾウの「カリヤニー号」です。当時の大東亜共栄構想という考え方が広く宣伝されていたこともあり、後に「共栄(ともえ)号」と改名されます。ちなみに、同時期に同じく阪神パークから来園したアミメキリンの「ワンジロー」は、「皇国(こうこく)号」と名付けられています。
